2011/05/05
H23.5.5
またまたご無沙汰いたしました。
そして、すっかりご無沙汰している間の3月11日にあの震災が起こりました。
地震の時は診療中でした。ただならぬ揺れにあわてて患者さんといっしょに外に避難しました。
その後の停電のためにすぐに診療室を休診にしましたが翌週には再開できました。
あれからもうすぐ2カ月がたちます。
あの日はとても寒くて雪が降っていましたが、いまは桜が満開の季節になりました。
沿岸に住む方々にとってこの2カ月という時間は盛岡に住む私たちとは明らかに違う長さの時間であったでしょう。
4月20日、歯科医師会のボランティア活動で大槌の吉里吉里小学校避難所で診療をさせていただいてきました。避難所はとても静かでみなさん淡々と暮らしている様子でしたが、横になってただただ天井を見上げるだけのお年寄りたちには、かける言葉を見つけることができませんでした。
このときに乗せていっていただいた診療車は遠く岐阜県から来てくれた車とドライバーの方でした。また、一緒に診療してくださったのは愛知県から来てくださった先生でした。お二方とも1~2週間も岩手県のために滞在してくださっていました。遠くからの暖かいご支援にただただ頭が下がり感謝の気持ちでいっぱいでした。ありがとうございました。
そして、いる間にお借りした仮設トイレのきれいさを忘れられません。
あのトイレのきれいさからここで暮らしている方々の心根の在り方を教えられました。
避難所を一歩出ればあの一面がれきの光景です。
ここで毎日を暮らすみなさんをどう支えられるのか、なにをし続けられるのか、なんの被害もなかった盛岡で暮らす私たちがすべきことを考えないではいられませんでした。
うちの診療室の患者さんの中にもご家族を亡くした方が数名いらっしゃいます。
「ここで話を聞いてもらえるだけで気持ちが落ち着くから。」と言ってくださいます。
行方不明のお父さん、お兄さんをさがしに行った時からお葬儀をあげたことまで、何度も来て話して行かれました。
別の患者さんは「家では泣かないことにしているから。」と言って待合室で泣いて行かれました。
かける言葉なんてありませんでした。背中をさすってあげるだけでした。
私が盛岡に来る前に10年間住んでいた宮古の友だちも亡くなりました。
自然の脅威の前では人間はどうすることもできないことをいやというほど知らされた今回の出来事でした。
被災した田野畑の知り合いにお見舞いの電話をしたら、
「自然さ文句言ったって仕方ねーべさー。どうにがしていぐしかねーんだなぁ。」
その言葉から海とともに暮らしてきたかれらの生きざまを教えられました。
この2カ月、ずっと心が重い日々でした。
でも、きのう久しぶりに岩手公園に行き満開の桜を見上げたら、「上を向いて歩こう~。」と口ずさんでいる自分に気づきました。
さあ、明日からまた前に歩いて行きましょう、上を向いてね。